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NIKEがマイケルジョーダンを選んだ理由。~NIKEとジョーダンが世界に与えた影響~
2021.11.3
はじめに
こんにちは!ベクトル高崎高関店です!
近年、スニーカーへの関心が高く、スニーカーも投資の時代と言われるようになりました。
ここまで伸びに伸びているスニーカー。その始まりってどこだろうか。
また、スニーカーと言えば!でパッと思い浮かぶのはマイケルジョーダン。
スニーカーの始まりとジョーダンがスニーカーに与えた影響はなにか、ジョーダンが当時履いていたバスケットシューズから歴史を辿ってご紹介していきたいと思います。
この記事を読んで少しでもスニーカー、ジョーダンに興味を持っていただけたらと思います!
実はバッシュだった?!スニーカーの始まり
今やスニーカーという言葉は誰に聞いてもわかるワードかと思います。
そのスニーカーとは一体どこから生まれてきたのか。
バスケットボールとの関連もかなり深いのでそこも取り上げながら紹介していきます。
当時のバスケットボールで有名ブランドがadidas、PRO-keds、CONVERSEが主流になってきました。
今回はadidasとCONVERSEを取り上げ紹介していきます。
意外にもバッシュから広まっていったんですね。
①adidas SUPERSTAR
今回紹介したいのが今やスニーカーの不朽の名作とも呼ばれるアディダス スーパースターです。
1960年~1980年代くらいまでバッシュとして起用されてました。
キャッチコピーが「羽のように軽く、手袋のようにフィットする。」
代表的な選手が当時のレイカーズにいたカリーム・アブドゥル・ジャバーです。
この選手の武器は背の高さと腕の長さからなるフックシュート。
このシュートで歴代通算得点1位に。今現在もまお1位を保持しています。
ストリートとして注目されたのは1986年Run D.M.Cがアディダスと契約し、ジャージにスーパースターが流行。外履きに普及されていきました。
シューレースを外してシュータンを外出しに歩くスタイルは今もなお受け継がれています。
ABCマート等のシューズショップに並んでいるスーパースターもバッシュがスタートでした。
②CONVERSE
スニーカーの起源として忘れてはならないのがコンバース。
実はバッシュからが始まりでした。
コンバースは1908年に設立し、1917年、バスケットボール用に作成したのがみなさんご存知オールスターです。
1918年、当時カレッジリーグで輝くスター選手がいました。
その選手がプロデビューと同時にオールスターを着用。引退まで履き続け、引退後もオールスターの普及活動を。全米にオールスターを広めました。
オールスターを履き続け、全米に広めた選手がこれもみなさんもよく知っているチャック・テイラーです。
オールスターのロゴにも入っていますね。
そして1960年代に映画になった「ウエスト・サイド物語」でバスケットボール用として履かれていたオールスターが街履きとして普及していきました。
今もなおスニーカーの定番商品として名作と言われているオールスター。
これがスニーカーの起源であり、バスケットボールが始まった起源でもあります。
バッシュでよく「シグネチャーモデル」と聞くと思います。
これの起源はバスケの神様、マイケル・ジョーダンを思い浮かべると思いますが、実際の起源はのアディダス スーパースター、コンバース オールスターのようです。
そこから1985年にマイケル・ジョーダンがJORDAN1を公開してから、「シグネチャーモデル」という言葉が広がっていきました。
バスケットボールの神様、JORDANの伝説
先程もちらっと出てきましたが
マイケル・ジョーダン
と聞いてスニーカー好き、バスケ好きな人はもちろん、そうじゃない人でも名前は聞いたことあるんじゃないかと思います。
今ではナイキ=ジョーダンだとは思いますが、
実はシューズ契約をナイキにするつもりはありませんでした。元々はアディダスかコンバースと契約するつもりでした。
コンバースは「特別扱いはできない」と言われ契約を見送られ、アディダスは当時経営難で報酬が出せず、契約を断られてしまいます。
そこで向かったのがナイキ。報酬も破格の金額を提示し、父親に説得されてナイキとの契約に応じました。
そして、そのときの代理人が「ジョーダンモデルのシューズを作ってほしい。」と要求。これを応じ、生まれたのが
AIR JORDAN1
これがマイケルジョーダンの伝説の始まり。
今やマイケルジョーダンは「バスケの神様」と称されていますがマイケルジョーダンがなぜここまで有名になり、伝説になったのか、当時のスニーカーと一緒にご紹介します。
1.AIR JORDAN1RETRO HIGH OG “BRED”
ジョーダンを語る上では外せないのがこのBRED。
当時チームのChicago Bullsの赤と黒を貴重としホームカラーとして履き続けていました。
当時のNBAの規定で「バスケットシューズに一定以上の白の面積があるものを使用すること」が決められており、規定外のバッシュは罰金を払って履かなくてはなりませんでした。
そこでスポンサーのNIKEがその罰金を肩代わりし、マイケルジョーダンにこのJORDAN1を着用してプレーさせ続けました。これをマーケティングに注目を集めました。
そしてJORDAN1は足首の安定性と高い耐久性が注目スケーターにも愛されるようになりました。これがストリートへ進出したきっかけになっていきました。
少し逸れましたが、BREDは1994年、2001年、2008年、2011年、2013年、2016年に復刻。
2008年が、Defining Moments Package(DMP)モデルとして復刻。特徴がシュータンとヒールにジャンプマンが入っています。
2011年にBREDではなくBANNEDモデルとして復刻。
“BANNED”とは禁止されたという意味で、NBAの規定で禁止されたシューズとして出されました。
ですが、販売直前に販売中止になり、一部のナイキストアでしか販売されませんでした。そのためBANNEDは現在も高いプレミアム価格で取引されています。
その後の2013年以降はOGに近いモデルで復刻し販売されています。
2013年と2016年で少し違いがあり、それは使われているレザーです。
2016年がシュリンクレザーといい少し光沢のあるレザーになっています。このシュリンクレザーが当時の再現をできているかと言われると賛否両論らしいです。
このシュリンクレザーが現在のJORDAN1を作るときのメインの素材になっています。
2.AIR JORDAN1RETRO HIGH OG “CHICAGO”
マイケル・ジョーダンといえばこのCHICAGOが一番想像つくかと思います。
CHICAGOはジョーダンの一番最初のシグネチャーモデルになります。当時のチームChicago Bullsのアウェイカラーとして履かれていました。
CHICAGOは過去に1994年、2013年、2015年に3度復刻しております。
そのなかで、2013年復刻のものは、OGではなくRETROとしての復刻なのでシュータンとヒールにはジャンプマンのロゴがついています。
OGとしての復刻は1994年、2015年でジョーダンが履いていたモデルに近い作りになっています。
OGのモデルが現在、相場高騰しております。
3.AIR JORDAN4RETRO HIGH OG “BRED”
“The Shot”
次にAIR JORDAN4をご紹介します。
AIR JORDAN4と聞いてこの”The Shot”を想像する人は多いと思います。
1989年、Chicago Bulls対Cleveland Cavaliers戦、2勝2敗の第5ゲーム、負ければ終わりの一戦。(当時は5戦3勝、現在は7戦4勝で勝ち上がり)
99対100でCavaliersが勝ち越しており、残り時間3秒。
このタイミングでボールを渡されたのがマイケルジョーダン。
ドリブルで交わし、リングにシュート。ブザービートとともにボールはリングに吸い込まれ、逆転ブザービートを決めました。
このシュートはNBAの歴史の中でも”伝説の3秒”と称されています。
そのときに履いていたのがこのAIR JORDAN4 RETRO HIGH OG “BRED”です。
2008年に発売し、2019年に復刻しました。
当時はメッシュとプラスチックが先進的だと注目され人気が高かったそうです。
AIR JORDAN4という洗練されたフォルムと歴史を紐解くと相場高騰も頷けます。
4.AIR JORDAN6RETRO HIGH OG “CARMINE”
続いてAIR JORDAN6 RETRO HIGH OG “CARMINE”をご紹介します。
ジョーダンはここまでチャンピオンまでたどり続けることができず、低迷していました。
この年は、ジョーダン復活の年。
1990-1991年、ジョーダンはこの年に初優勝を下し、加えて、ファイナルMVP、得点王の3冠受賞。
そのときに履いていたのがAIR JORDAN6 RETRO HIGH OG “CARMINE”です。
オリジナル含め4回発売しており、AIR JORDAN6の発売が30周年でその記念でCARMINEのモデルが2021年に復刻しました。
4回のうち、2008年と2014年の復刻がオリジナルと少し違い、ソールがNIKEロゴからジャンプンマンになっており、2021年のモデルでNIKEロゴに変わり、オリジナルに近いかたちになりました。
現在2021年のモデルが手に入りやすくなっています。5年後、10年後が楽しみな一足になっているので、手に入れておくのもありかと思います。
5.AIR JORDAN11RETRO HIGH OG “CONCORD”& “BRED”
本題に入る前に1991-1993で3回優勝し、実は1993年に一度引退し、1994年に復帰しました。
ここからはジョーダンが1995-1998で3回優勝したときに支えていたバッシュをご紹介します。
はじめにAIR JORDAN11 RETRO HIGH OG “CONCORD”と”BRED”です。
1995年のセミファイナル、オーランド・マジック戦で突如として履いたAIR JORDAN11(このときはCONCORDを着用)。
当時、AIR JORDAN11 CONCORDを履くことを、生産ラインが確立しておらず、一般販売の目処が立っていなかったため禁止にしていました。
それにも関わらず、強行的に履いてそのままゲームへ。
当時はバッシュのチームカラーを合わせる必要があり、白基調で揃えるか、ブルズのチームカラーである黒基調で出場しなくてはなりませんでした。
CONCORDは白基調のため、ここでも罰金を払いながら試合に出ていたようです。
そして1995-1996の年に引き続きAIR JORDAN11を履いての出場。
レギュラーシーズンでは72勝10敗という当時のフランチャイズレコードを達成。今後約20年間破られることはありませんでした。
そして4度目の優勝を果たしました。
AIR JORDAN11 RETRO HIGH OGは
CONCORDが1995、2001、2011、2018の4回、BREDが1996、2001、2012、2019の4回発売、復刻しています。
CONCORDの2018年モデルのみヒールの「23」が「45」になっています。
「45」は1995年にジョーダンが当時付けていた背番号です。
1993年に「23」が永久欠番になり、引退後のMLBで「45」を付けていたのでそこからきてるみたいです。
「45」を付けていた試合も22試合のみ。
理由は当時のオーランド・マジックの監督に「23番じゃないジョーダンは怖くない」と言われ、罰金を払ってでも「23」を付けていたようです。
このときもジョーダンの負けず嫌いなところが出てますね(笑)
6.AIR JORDAN12RETRO HIGH OG “Flu Game”
続いてAIR JORDAN12 RETRO HIGH OG “Flu Game”です。
“Flu Game”
こちらもジョーダンを語る上で外せない一足です。
1997-1998年、NBAファイナルでUtah Jazzとの1戦。
この年のUtah Jassはメールマンと呼ばれたカール・マローンとアシストとスティールで歴代1位で今もなお破られていない記録を持つジョン・ストックトン率いるUtah Jassはまさに黄金期。
このときのジョーダンの体調は最悪。
病名は食中毒。2勝2敗のタイミングでの折返し、5戦目の大事な1戦。満を持ししてスターターとして出場。
このときのジョーダンは44分出場、38得点5アシスト7リバウンドで勝利。
試合終了直後は限界を迎え、チームメイトのスコッティ・ピッペンに支えられ会場をあとにします。
体調不良の中、最高のプレイをしたとしてジョーダンの歴代の試合の中でも伝説の1戦になっています。
この試合を”Flu Game”と呼ばれています。
このとき履いていたのがAIR JORDAN12 RETRO HIGH OG “Flu Game”です。
そして5度目の優勝とファイナルMVPを獲得しました。
AIR JORDAN12 “Flu Game”は1997年、2003年、2009年、2016年の4回発売、復刻しています。
どの年代も大きな変化はなく97年に出たモデルをそのまま復刻されています。
7.AIR JORDAN14RETRO “Last Shot”
“Last Shot”
最後にAIR JORDAN14 RETRO “Last Shot”をご紹介します。
このバッシュのデザインがジョーダンが持っていたフェラーリをモチーフにしています。
1998年のNBAファイナル第5戦目までAIR JORDAN13を履いてましたが、一番最後の第6戦目でこのAIR JORDAN14を履いて出場。
そして、6度目の優勝と2回目の3連覇を達成。ファイナルMVPも獲得。
その後、1999年に2度目の引退へ。
この画像がジョーダンのラストショットとして今も伝説になっています。
AIR JORDAN14 RETRO “Last Shot”は1999年、2005年、2011年、2018年の4回発売、復刻をしています。
こちらも各年代で大きな変化なく99年モデルをそのまま復刻しているようです。
まとめ
いかかがでしたでしょうか?スニーカーの始まりからなぜジョーダンが伝説となり今もなお人気があるかを紹介しました。
人気のあるジョーダンシリーズは暴力事件があったり等、警察沙汰になったりしています。今では考えられないですね。
ジョーダンシリーズもOGをベースにいろいろなカラー出ていますが、こういった歴史を知っていると当時の良さと今の良さを知ることができるかなと思います。
今回紹介したJORDANをお持ちでしたら「こんなことがあったんだな」と思いながら履くのもよし。飾って眺めるのもよし。
歴史を知り、スニーカーライフを楽しんでください!
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